「2019年に向けて、都市計画史を考える」(『新都市』、平成28年4月号)

5月 9, 2016 by · Leave a Comment
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『新都市』の平成28年4月号に、中島直人「2019年に向けて、都市計画史を考える」が掲載されました。都市計画遺産研究会の活動を紹介しながら、これからの都市計画史研究について展望しています。

目次

1都市計画史の歩みと三つのアプローチ

22019年に向けたいくつかの宿題

3空間履歴としての都市計画アーカイブ

4地域コミュニティに向き合う都市計画史

機会があれば、ぜひ、ご笑覧ください。

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第3回都市計画遺産セミナー「都市計画史は「ニュータウン」に何を見ているのか」開催

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テーマ:都市計画史は「ニュータウン」に何を見ているのか -イギリス研究最前線との対話

日時:2015年11月7 日(土)15:30~17:30

会場:フェニックス・シーガイア・リゾート2階オーチャード北

主催:都市計画遺産研究会(日本都市計画学会共同研究組織)

基調講演:マーク・クラプソン(ウェストミンスター大学)

話題提供:中野茂夫(島根大学)、有田智一(筑波大学)、篠沢健太(工学院大学)

司会:中島直人(東京大学)

記録:中島伸(東京大学)

 

趣旨説明(中島直人)

都市計画遺産研究会では、都市計画遺産セミナーとして、海外から都市計画史研究者を招聘し、海外の都市計画史研究の状況を伺い、日本の都市計画研究の可能性を探ることを目的に開催している。今回は20世紀後半最大の都市計画遺産のひとつである「ニュータウン」を取り上げ、日英を比較しながらこれからの都市計画史研究の展望を議論したい。

 

基調講演「New Towns in Planning Studies in England」(クラプソン)

イギリスの田園都市運動は、1903年のレッチワース、1920年のウェルウィンによって、新しいコミュニティづくりの先駆けとして始まった。田園都市運動に導かれたNT建設は第二次世界大戦後に結実し、3つのNT法が戦後つくられるが、重要なものは、戦災復興としての重要な側面を持つ1946年法と、最大級のNTであるミルトンキーンズを生んだ1965年法である。今日ではNTに270万人がイギリスでは住んでいる。

戦後イギリスのNTにおいて、近隣住区計画、交通及びコミュニケーション計画、住商分離のゾーニングなどが新しい重要なNT建設の価値として提供された。近隣住区計画については部分的には成功し、ラドバーンシステムによる歩車分離は旧市街の混在型地区に比べて成功したと言える。最大規模のミルトンキーンズでは、自己完結性としては最も成果を挙げたと言える。しかし、現在の絶望的な住宅不足と都市計画協会(TCPA)によるロビイング活動にも関わらず、NTのような大規模なプログラムにわずかな政治的意図しか働いていない。

 

話題提供1「近隣住区論の導入とニュータウン」(中野)

日本のNT建設は、戦時下の新興工業都市計画からはじまったとされ、内務省の指導要領には近隣住区の考え方が取り入れられていた。それ以前にも内田祥三らが手がけた大同、勝田などの都市計画において近隣住区論の影響が読み取れる。この近隣住区論の受容が日本の導入過程の根幹になったと見てよい。日本にとって、田園都市論が自然豊かな住宅地のイメージとして定着した理論だったのに対して、近隣住区論は都市計画の具体化の理論であり、日本の実情に合わせた段階的展開があった。

 

話題提供2「 筑波研究学園都市を対象とした「日本における都市計画理論の実践」の検証の意義」(有田)

日本では通常郊外ベッドタウンとしてNTが成立してきた。そこで筑波の自立型都市の構想、実現は重要である。現在筑波が直面している構造転換課題として、①東京の過密抑制という従来の目的の喪失と自立都市圏としての持続可能性、②サイエンスクラスターとしての存在意義の転換期、③均衡のとれた田園都市の実現、④計画、開発における国主体から自治体、市民主体のマネジメントへの移行、⑤これまでの都市計画、設計基準の有効性の検証と時代変化への対応が挙げられる。

 

話題提供3「地域文脈の視点からの郊外住宅地の再編」(篠沢)

千里NTを事例として、現代の郊外住宅地の再編と再生のための潜在する自然環境構造を解読した。近代的建設により弱められ、失われた空間組織と社会組織のつながり、建設後の人々の住みこなしにより生じた環境の改造や改善の意義を読み取ることが不可欠である。千里NTでは、NT全体で計画単位としての「谷」の継承、住区レベルではため池をベンチマークとする地形の継承、団地レベルでは地形の連続性と変換点の継承が、各スケール、事業段階で行われていた。

コメント(クラプソン)

イギリスでは近隣住区論は1960年代には有効になっていたが日本では必ずしもそうではなかった。地形的な問題が土地利用に大きく影響していた。千里NTでは、地元の農業の影響が気になった。イギリスでは都市開発に大きな反対を受けていた。筑波の自立型都市を目指すことは日本の他の都市においても共通するだろう。筑波の建築水準は高い。日本のNTは密度の問題に他国よりも適切に対処できているのではないか。

コメント(篠沢)

農家がNTに反対する傾向だが、時代が下ると農地利用が減り反対も減る。そして計画の自由度が上がるが、反対譲歩によるため池を残すなど条件がつき、それが魅力的な空間になった。

コメント(有田)

筑波の最初のマスタープランは文脈を無視して理想的に書いたことで、地元農家の大反対があった。当初、インフラ移住者の苦労があり、これらをまとめた記録集もある。近隣センターが重要だった時期もある。NTも時代毎に成長している。

コメント(中野)

日本の高密なNTは設計標準等によってつくられているが、評価は分かれるところ。日本らしさはまだ研究蓄積が浅いが、当時の計画単位を理解することが重要。

コメント(中島直人)

人口、住宅不足の状況が日英では大分異なり、NTの都市計画史研究をする意義も大分異なりそうだ。

コメント(会場から)

日本は既にNTに内在した持続可能性があるのに、継承されずに変更されてしまうことが課題ではないか。

コメント(会場から)

日本の都市計画技術が大きく力をかけたのは、土地取得の点にある。イギリスは比較的簡単だったようだ。今後日本も土地が余り始める。土地取得について比較したい。

文責:中島伸(東京大学)

 

第二回都市計画史研究者の会(Planning Historians’ Meeting)開催のお知らせ

10月 12, 2015 by · Leave a Comment
Filed under: イベント, 都市計画遺産研究会 

昨年の11月、広島で開催した第一回都市計画史研究者の会から1年、
今年も日本都市計画学会大会に合わせて、第二回都市計画史研究者の会を宮崎にて開催致します。
参加希望者は、研究会幹事:中島直人(naoto[at]ud.t.u-tokyo.ac.jp)まで、メールまたはFBのメッセージでご連絡下さい。

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第二回都市計画史研究者の会
2015年11月6日(金)
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■第1部
宮崎都市計画遺産めぐり まち歩き
13時~14時30分
集合場所:JR宮崎駅構内 宮崎市観光案内所前
案内:永瀬節治先生(和歌山大学)
明治10年代に市街地が形成し始め、鉄道敷設や街路整備が進展しますが、昭和2年に都市計画対象都市として指定され、近代都市計画が本格的に進められてきました。第二次大戦後の戦災復興都市計画、高度経済成長を経て現在では人口40万人を擁する県都として、開放的な骨格を有する都市となっています。
まち歩きではこうした宮崎の都市形成の中で肝となった都市計画の履歴を巡りながら、その遺産としての価値や保全の可能性について、また現代のまちづくりへの接続のあり方について考えるヒントを得たいと思います。

■第2部
都市計画史研究会
15時~17時30分
会場:宮崎グリーンホテル会議室
http://www.miyazaki-green.co.jp/
議題
・「都市計画史選奨2014」
この1年間の都市計画史研究を徹底的にレビューします。
・2019年 都市計画法100年に向けての取り組み
・IPHS2018とIPHS日本支部設立

■第3部
懇親会
18時~
会場:宮崎市内

なお、大会初日には、
日本都市計画学会大会行事として、
以下のようなワークショップを企画しております。
こちらにも奮って、ご参加ください。

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WS(第3回都市計画遺産セミナー)
「都市計画史は「ニュータウン」に何を見ているのか
―イギリスの研究最前線との対話―」
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2015年11月7日(土)15時半~17時半
@宮崎シーガイア

講演:
・マーク・クラプソン先生(ウェストミンスター大学教授)
パネリスト:
・有田智一先生(筑波大学教授/筑波研究学園都市研究会)
・篠沢健太先生(工学院大学教授/ランドスケープ/建築学会地域文脈デザイン小委員会)
・中野茂夫先生(島根大学准教授/近隣住区論研究会/都市計画遺産研究会)

趣旨:
「ニュータウンが依然としてそこから多くを学びうる二十世紀の実験である」-20世紀後半の最大の都市計画遺産が「ニュータウン」であることは論を俟たない。我が国のみならず世界各国において同時代的に建設されたニュータウンの再生や成熟化が世界共通の課題となっているのと同時に、都市計画遺産ないしは都市計画史研究において「ニュータウンをどう扱うか」は、各国の都市計画史研究の国際的な水準を見定め、相対化する格好のテーマである。本ワークショップでは、最近、イギリスのニュータウン計画を包括的に省察する論考を発表されたマーク・クラプソン氏を基調講演者にお迎えし、「ニュータウン」を巡る都市計画史の研究の視座・視点、知的再評価の方法について日英を比較しながら議論することで、我が国の都市計画史研究のこれからを展望してみたい。

「現代都市の文脈としての都市計画遺産」(『建築雑誌』2015年5月号)

5月 7, 2015 by · Leave a Comment
Filed under: 出版, 都市計画遺産研究会 

『建築雑誌』2015年5月号(特集:都市史から領域史へ)に「都市計画遺産研究会」の紹介記事を寄稿しました(執筆:中島直人)。以下、全文です。

現代都市の文脈としての都市計画遺産

都市計画遺産研究会は、都市計画史研究の活性化を目的に、2010年度より活動している。我が国の都市計画史研究者の第一世代は、1970年代後半から80年代前半にかけて都市計画史研究会を組織し、市区改正条例百周年にあたる1988年の国際都市計画史学会(IPHS)の東京開催を経て、1990年代初頭までにいくつかの重要な著作を成果として残した。その後も、都市計画史分野では継続して一定数の論文が発表されたが、方法論や対象についての飛躍的な展開は見られなかった。2000年代半ばになって、都市計画史の新たな叙述や役割を開拓しようとする若手の研究者が著作を発表し始めた。そうしたいわば「第三世代」の30代、40代の都市計画史研究者で組織したのが都市計画遺産研究会である。

都市計画遺産研究会は、都市計画史研究とまちづくり、都市デザイン、都市計画の現場との接続を志向し、「都市計画遺産(planning heritage)」という都市空間の捉え方の確立を目標として掲げている。現代都市の最大の課題である都市空間ストックのリノベーションの基盤として、現在の都市空間への認識をさらに豊かにしていく必要がある。私たちの眼前には、とりわけ戦後に大きく変化した都市空間が広がっているが、その殆どは都市計画の影響を受けて形成されてきたものである。これからの都市計画史研究の重要な役割は、都市計画を抽象化された技術体系や自己完結した個別スポット事業としてではなく、領域的な空間履歴として把握した上で、その履歴の海の中から、都市計画の思想、技術、社会、経済、文化的視点からの多角的なアプローチによって、まちづくりに生かすべき地域文脈を共有可能なかたち(それを「遺産」と呼ぶ)で抽出してみせることである。東日本大震災直後にwikiを利用して緊急開設した「三陸海岸都市の都市計画/復興計画史アーカイブ」は、その試行であった。現在、『都市計画遺産アトラス』という書籍の刊行を準備している。

また、都市計画遺産としての日本の都市空間、市街地形成の特質を理解するためには、欧米との比較に留まらず、欧米とは異なる都市の原型、履歴を有する諸国の都市計画史を第三局においた「三点測量」による立体的な定置が必要である。研究会の具体的な取り組みとしては、近年、組織的な活動を開始している中国の都市計画史研究者たちとの交流・協働を推進している。2013年10月に東京にて開催した日中都市計画史研究セミナーは、第二回を2015年3月に中国の浙江大学にて開催した。また、2019年の都市計画法制定百周年を節目として、海外への日本、そしてアジア都市計画史の発信力を強化するために、研究会メンバーだけでなく第一世代以降の研究者にも広く声がけし、都市計画史研究者の会(Planning Historians’ Meeting)を運営し始めている。

 

 

Young Scholars Seminar of Planning History Study in China and Japan

3月 26, 2015 by · Leave a Comment
Filed under: 海外, 都市計画遺産研究会 

2015年3月21日、中国・杭州にて、浙江大学が主催し、都市計画遺産研究会も協力するかたちで、「日中都市計画史若手研究者交流研究会」(Young Scholars Seminar of Planning History Study in China and Japan)が開かれました。中国からは5つの研究発表がありました。日本側は中島直人(慶應義塾大学)、初田香成(東京大学)、中島伸(東京大学)が発表し、その後、研究のテーマ、枠組み、方法についてのディスカッションを行いました。 Whats my ip

第一回都市計画史研究者の会(Planning Historians’ Meeting)開催のお知らせ

10月 1, 2014 by · Leave a Comment
Filed under: イベント, 都市計画遺産研究会 

第一回
都市計画史研究者の会(Planning Historians’ Meeting)開催のお知らせ

日本の都市計画にとって重要なアニバーサリーである2019年=都市計画法制定100周年が近づいています。2019年は日本の都市計画の省察と展望の良い機会となるはずですが、その際、都市計画史研究が大きな役割を果たすと考えられます。日本の都市計画はどのような個性を持ち、どのような成果を残し、これからどこへ向かうべきなのか、そうした問いに答えなければいけないのは、都市計画の過去、現在、未来をつなぐ都市計画史研究者です。
近年、日本都市計画学会の学術講演会はもちろんのこと、国際都市計画史学会(IPHS)の大会でも日本人研究者による研究発表が継続的に活発に行われてきており、都市計画史研究の蓄積、広がりが確かに見られるようになってきています。5年後に迫った2019年に向けて、都市計画史研究者は個々人の研究を引き続き充実させつつ、都市計画史研究分野全体として、さらなる発展、活性化の戦略を持つべき時期に来ています。日本の都市計画の足跡をさらに広く深く追いかけるとともに、欧米中心の従来の都市計画史を相対化する真の意味での国際的な視野と発信が、日本の都市計画史研究者に期待されています。
今回、広島での日本都市計画学会学術講演会開催の前日という機会に、都市計画史研究者の集まりを企画しました。主な議題は「2019年に向けた都市計画史研究の展望」です。各人が抱える研究テーマを今後、どのように発展させていくのか、あるいは、都市計画史分野全体としてどのような研究の戦略がありうるのか、参加者が簡単なメモを持ち寄り、フランクに議論する場としたいと考えております。IPHSの次回2016大会(デルフト工科大学)での企画や、次々回2018大会の日本開催計画なども、積極的に話題としてとりあげます。
長年、広島の都市計画史を探求してこられた石丸先生の特別レクチャーも予定しております。
皆様のふるってのご参加をお待ちしております。
■日時:
2014年11月14日(金)15時~18時半
※なお、会合後、19時より会場近くの居酒屋で懇親会を予定しております。
こちらも(あるいは日中の都合がつかない方はこちらだけでも)、ぜひ、ご参加ください。
■会場:
安芸リーガルビル会議室
広島市中区上八丁堀8-14 安芸リーガルビル2階
最寄駅:広島電鉄9系統「女学院前」駅 徒歩1分
電話番号:082−502−0428
■主催:
都市計画遺産研究会(日本都市計画学会共同研究組織)
 http://www.planning-heritage.net/
■プログラム:
・特別レクチャー 「広島県・市による平和構築・人材育成事業は有効か/広島の復興を海外にどう伝えるか、留意すべきことは何か(仮)」(石丸紀興先生)
・2019年に向けた都市計画史研究の展望(参加者全員によるディスカッション)
※参加者はA4・1枚程度の簡単なメモをご用意ください。
※必要部数(参加人数)については確定次第、お知らせいたします。
■参加者(定員25名)
都市計画史の研究者および研究者候補の学生
 ※現時点での参加予定者
・秋本福雄
・石丸紀興
・加嶋章博
・小林敬一
・佐野浩祥
・津々見崇
・中島 伸
・中島直人
・中野茂夫
・西成典久
・初田香成
・松原康介
・山口敬太
・渡辺俊一
■参加申し込み・問い合わせ先
メールにて、幹事まで。
幹事:中島直人(慶應義塾大学、都市計画遺産研究会)
naoto@sfc.keio.ac.jp
※懇親会への参加の有無についても、合わせてお知らせください。
 ※会場、懇親会等の予約の都合上、10月20日頃までにお願いします。

前現代委員会、報告書完成。

1月 6, 2014 by · 前現代委員会、報告書完成。 はコメントを受け付けていません。
Filed under: 出版, 前現代遺産研究委員会 


2011-2012年度に活動した日本建築学会前現代都市・建築遺産計画学的検討【若手奨励】特別研究委員会の報告書、ようやく印刷できました。以下、目次を掲載しておきます。

報告書本体は、学会にて閲覧可能です。今後、増刷も検討しています。

 

・グラビア 前現代期の都市・建築
・目次 ・年表 前現代の都市・建築
・分布図 本報告書の対象
・はじめに

本論

【前現代の建築を見る視点1】
・前現代建築の建築的特徴が生みだす活用価値について  大阪都心部を事例として  高岡伸一(大阪市立大学/高岡伸一建築設計事務所)
・前現代建築の対象領域の拡がりとその価値に関する試論 1950 〜 1970 年代の6 物件を通じて  倉方俊輔(大阪市立大学)
・共同建築から雑居ビルへ   ―都市建築としての戦後ビル建築史―  初田香成(東京大学・幹事)

【戦災復興期の基盤整備と都市施設】
・東京都戦災復興区画整理の街区設計に見る区画整理設計技術の特徴  中島伸(練馬まちづくりセンター/東京大学)
・社会広場の建設とその遺産的価値  東京戦災復興区画整理事業で試みられた都市デザイン  西成典久(香川大学)
・鉄道高架下における店舗形成と変容過程 -前現代神戸の盛衰をめぐって  村上しほり(神戸大学)
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第2回都市計画遺産セミナー報告 中国の都市計画史と日本の都市計画史 -学術コラボレーションの可能性を求めて

中国の都市計画史と日本の都市計画史-学術コラボレーションの可能性を求めて

 

日時:2013年11月9日(土)13時~15時
会場:法政大学田町校舎T413教室
主催:都市計画遺産研究会(日本都市計画学会共同研究組織)
発表者:李百浩(東南大学)、侯丽(同済大学)、傅舒蘭(浙江大学)
コメンテーター:渡辺俊一(東京理科大学)、中野茂夫(島根大学)、中島直人(慶應義塾大学)、中島伸(東京大学)
司会:初田香成(東京大学)
記録:田中暁子(後藤・安田記念東京都市研究所)

●趣旨説明(中島直)
都市計画遺産研究会は都市計画史研究の活性化を目的とした若手の集まりである。昨年、中国の都市計画学会の中にも都市計画史の委員会が設立された。都市計画史研究分野において中国と日本で一緒に何が出来るか。今までは欧米と日本との比較が多かったが、中国を含む三点間で比較することで立体的にみることが出来ると思う。

●発表1「中国の都市計画研究・教育の現状と都市計画史」(傅)
中国では、2011年以前は城市規劃(都市計画)学科は設置されておらず、建築学科の下の二級学科(コース)扱いだった。2011年以降「城市規劃」が一級学科になった。現在、175の大学に都市計画のコースが置かれている。国が指定している10の主要授業科目の中に「都市発展・計画史」がある。中国城市規劃学会は1987年に建築学会から独立した。11の小委員会(学術委員会)があり、昨年、都市計画史の委員会が設立された。中国の歴史研究では、古代・近代・現代の明確な区分が共有されている。古代と近代の区分は1840年のアヘン戦争、近代と現代の区分は1949年の中華人民共和国の成立であり、都市計画史もそれに従っている。中国では、都市史・都市計画史・都市保全・建築史研究が混在していてピュアな都市計画史研究者は少ない。科研費がとりにくいことや、地図が国家秘密となっていて入手しづらいことがネックとなっている。

●発表2「近代以降中国における「城市規劃」用語の変遷」(李)
都市計画の歴史資料(学術著作、翻訳書、政府広報、計画書類)から”city planning”に対応する言葉を抽出した。城市規画、都市改良、都市設計、都市計画、都市規画、市政計画、城市設計、城市計画、都市規劃、市区規劃、都市営建、都市計劃、城市計劃など、全46語があった。cityに対応するのは主に城市と都市の2つ、planningに対応するのは主に規画、設計、計画、計劃、規劃の5つである。主要な用語で時代を区分すると、「城市規画」(1913)、「都市計画」(1918-1928)、「城市設計」(1928-1934)、「都市計劃」(1934-1956)、「城市規劃」(1956-)となる。中国では、欧米の科学技術を導入する際、中国の伝統文化に基づく学習・再構成のプロセスを経る。”City planning”についても、既存の漢字に新しい意味を与えて新しい概念を表現した。「規劃」は近代以前の中国において最も多く使用されてきた用語である。一方で、「計画」は日本からの逆輸入であった。

●発表3「The Unplanned Path of Chinese Planning Schools」(侯)
中国では、都市計画を学ぶ学部生が3万人、修士課程が3660人、博士課程が436人いる。この10年で急激に増えた。中国の都市計画教育史は、1952年以前:萌芽期、1952年から1960年:第一次ブーム、1960年代から70年代中ごろ:低迷期、1970年代から80年代:回復期、1990年代:改革期、2000年代:繁栄期と画期できる。最初の独立した都市計画プログラムは1952年に同済大学に設立された。1960年代は文化大革命で失われた時代である。1970年代は都市計画が職能として復活し、南京大学、北京大学、中山大学、杭州大学(後に浙江大学に吸収)で地理学を中心とした都市計画コースが創設された。1990年代は改革の時期で、デザインスタジオが重視されるようになった。現在、中国では都市計画関係のプログラムが300以上あるが、教育資源の問題で、トップとボトムの差が大きくなっている。

●コメント(中野)
かつて中国と日本の都市計画史が交わった点は近代以降2つあるのではないか。一つは日本の中国侵略期に中国の都市計画をかなりやっていた時代。もう一つは直接的な関係ではないが、戦災復興の際、日本の戦時中の都市計画の影響がかなりあったのではないか。その後、中国では特に土地所有の違いから、日本とかなり異なる都市計画体系が進んでいったが、北京オリンピック以降、保全・保存が俎上に上がるようになった。そこに研究の接点があるのではないか。

●コメント(中島直)
中国の都市計画史を通して日本の都市計画の特徴に気付かされるということも大事である。例えば、日本では1960年代に都市計画の専門学科が出来たが、その後は、中国と違い、都市計画の専門コースが数多く設立されるということはなかった。専門家を養成できなかったわけだが、1960年代、70年代の都市開発の時代をのりきった。専門家がいなくても、都市をつくれたのはなぜだろうか。

●コメント(渡辺)
都市計画研究をなぜやるか。自分のやってきたことは、国際的に比較したり歴史的に眺めてみたりすることで、都市計画が何なのかを理解することであった。国際比較も歴史研究も同じ関心に基づいている。日中比較で興味深いのは、中国は官僚主義だがプロフェッショナリズムが成立している点。100年前は汚かったけれども、今はきれいになりつつある東アジアの都市計画は、世界スケールで見てもとてもユニークである。都市計画のストーリーを検証してみたい。

●コメント(李)
中国の都市計画史研究はスタートが遅く、まだ若い研究分野である。1949年から1980年までは、近代(中華民国)の研究はあまりできなかった。今後、文化の多様性・歴史を大事にした都市をつくるという世界的潮流の中で、都市計画史研究は大事である。研究の方法、資料収集、厳密な分析という点でも情報を交換していきたい。

●コメント(侯)
中央官僚が引っ張っていたと言う点は似ている。というのも、中国は1949年以降ずっと計画経済のソ連を勉強していたからだ。今、中国の手本の一つは東京。中国もそろそろ都市化が終焉を迎えている。上海市の再開発の際に参考にしている。お互いの国の歴史・経験、エピソードの共有が大事である。

●コメント(会場から、渡部與四郎元都市計画学会会長)
1989年に日中交流の協定を結んだ。現在、日本・中国の関係を修復したいと思っている。例えば地球環境問題への対応を含めて都市計画をどうするか。そういう具体的な話をしたらいいと思っている。

●まとめ(中島伸)
今回が日中交流の端緒であり、互いにバックグラウンドを共有できたと思う。昨日のプレワークショップでも感じたが、都市計画史研究者として史料に向かう眼差しは、国が違っても同じである。

第2回都市計画遺産セミナー 中国の都市計画史と日本の都市計画史 学術コラボレーションの可能性を求めて

10月 24, 2013 by · Leave a Comment
Filed under: 海外, 都市計画遺産研究会 

来る11月9日、法政大学で開催される日本都市計画学会学術講演会の会場にて、下記のワークショップを開催します。3月にアメリカのアラン・プラッタス氏(イェール大学教授)を招聘して開催した第1回都市計画遺産セミナーに続く、第2回都市計画遺産セミナーとなります。中国から3名の都市計画史研究者を招聘し、研究を発表して頂きます。皆様のご参加をお待ちしております。

中国の都市計画史と日本の都市計画史
-学術コラボレーションの可能性を求めて

主催:都市計画遺産研究会(日本都市計画学会学術交流組織)

日時:2013年11月9日(土)13時-15時

会場:法政大学田町校舎T413教室
※WS参加費用は無料ですが、学術講演会参加費が必要です。

登壇予定者
中国の都市計画史研究者(発表者)
・李百浩(東南大学教授)
・侯丽(同済大学副教授)
・傅舒蘭(浙江大学講師)
日本の都市計画史研究者(コメンテーター)
・渡辺俊一(東京理科大学嘱託教授)
・中野茂夫(島根大学准教授)
・中島直人(慶應義塾大学准教授) 他

趣旨
ストック型の成熟社会における都市計画史の役割とは一体何だろうか。従来の日本における都市計画史研究は、近代都市計画のコンセプトを生み出した欧米を原点とし、我が国における思想や技術の伝播や理解、普及、変容の度合いに関心を注いできた。しかし、これからの都市計画史研究は、欧米-日本-もう一国という「三角測量」により、豊かな計画文化の世界を描き出す方向を目指したい。本WSでは、近年、都市計画学会内に都市計画史の学術委員会を設置し、都市計画史研究を推進し始めている中国から気鋭の都市計画史研究者を招聘し、1用語と概念、2教育と職能、3遺産と保全の3つのテーマについて、日本と中国との都市計画史研究のコラボレーションの可能性を探る。

下記に本WSの案内がございます。
http://www.cpij.or.jp/com/ac/WS-2013.pdf

【アトラス05】水島の住区基幹公園群

9月 26, 2013 by · Leave a Comment
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現在、瀬戸内工業地域の中核として知られる水島(倉敷市)の工業化がはじまったのは、戦時中のことである。昭和17年に三菱重工業株式会社水島航空機製作所が建設されるとともに、厚生地区が造成された。高度経済成長下、水島は新産業都市の指定を受け、重化学工業の促進が図られたが、一方で環境汚染が本格化し、公害対策が課題となった。水島では、緩衝緑地をはじめとする公園・緑地の整備が先進的に進められたが、そのなかでも、ひと際特徴的なのが最初に市街化された水島地区に数十カ所にわたって開設された住区基幹公園である。
 水島は、現在倉敷に合併されているが、戦前は連島町に属しており、1940(昭和15)年6月24日に旧都市計画法が適用された。1942年4月9日に、連島の都市計画街路と土地区画整理が計画決定され、翌年に事業決定された。連島の都市計画街路は、幾十にも重なった放射環状の壮大な都市計画であった。その実現にあたって土地区画整理区域も約七〇〇万坪の広域にわたって計画されていた。けれども実際には、その中心部にあたる厚生地区だけが「水島第一土地区画整理事業」として1943-51年にかけて優先的に整備された。
さて、その厚生地区には、工場の従業員向けの社宅や寮が多数設けられ、学校や病院、体育館といった厚生施設が配置されるとともに、生活を支える商店街が形成されていった。その一方で、水島第一土地区画整理事業によって、多数の公園用地が確保されていた。こうした公園が計画された背景には、工場の労働環境の改善にあたって保健・衛生が重視されつつあった当時の時代背景があったと考えられる。この保留地こそ、後に公園用地として使われることになる。
連島が倉敷市へ合併されたのを契機に、都市計画公園の整備が本格的にはじめられた。昭和31年7月10日、高橋勇雄倉敷市長からの申請を受けて、岡山都市計画地方審議会が開催されており、同年9月21日に「倉敷都市計画公園追加並びに連島都市計画公園に対する名称及び番号の変更について」が告示された。そのときに添付された「倉敷都市計画公園配置図(その二)」と「設計予想図」は、公園の配置図と設計図になっており、それが現在の住区基幹公園の原型となったと考えられる。
 「倉敷都市計画公園配置図(その二)」には、44公園が記されており、そのうち水島中央公園をのぞく、43公園が小規模な児童公園として計画されていた(旧称「児童公園」は現在の「街区公園」に該当)。水島の住区基幹公園は、戦前の「公園計画標準」にもとづいて用地が確保されていたため、小規模な公園がほとんどであった。このため、公園の整備にあたって複数の公園を合併して一つの公園にするといった計画の見直しが一部でなされたが、それでも一般的な街区公園よりも小規模な多数存在している。現在の計画標準からしてみると狭いものであるかもしれないが、多数の公園が住宅地内にくまなく配置されているという特徴的な公園群なのである。
 現存している住区基幹公園は、四方を街路で囲われた公園が大半を占めている。公園内の設備は当初、砂場、便所、飲用水栓、花壇、東屋などが予定されていたが、時代背景とともに変更が加えられており、現在はバラエティに富んでいる。しかしながら、一部にはほとんど使われていない公園も散見されるといった課題が、中心市街地の空洞化とともに顕在化している。(中野)

【参考文献】
(1)国立公文書館所蔵「公文雑纂」(第123巻・都市計画14、昭和17年4月9日)所収「岡山県連島都市計画街路決定」「岡山連島都市計画土地区画整理決定」。
(2)建設省計画局都市計画課編「都市計画及び都市計画事業の決定書類等・岡山県」(国立公文書館所蔵、昭和31年7月19日)。
(3)岡山県『水島のあゆみ』(同発行、1971)。

図版出典
(1)国立公文書館所蔵「公文雑纂」(第123巻・都市計画14、昭和17年4月9日)
(2)建設省計画局都市計画課編「都市計画及び都市計画事業の決定書類等・岡山県」(国立公文書館所蔵、昭和31年7月19日)。

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